森里川湖をめぐるストーリー 4
[2024年6月11日]
ID:17378
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このコラムは、鈴鹿の森から始まり、森里川湖を通じて人と自然がつながっていることを感じていただくものです。
鈴鹿山脈に降る大量の雨や雪によって蓄えられた水は、一部は表流水として河川を流れ、一部は土壌に浸透し、長い年月をかけて愛知川を流れ、琵琶湖に注いでいます。
東近江市の東部は、鈴鹿の山から運ばれた土砂で構成される扇状地とよばれる堆積地が多く、堆積地の下層には四百万年~五十万年前の層が広がり、地下を流れる伏流水が、所々で湧き出しています。
愛知川の水が一見枯れているように見えるのは、上流で地表水が地下に浸透して伏流水となり、国道8号御幸橋辺りから湧水として、再び地表に流れ出るからなのです。
このように水が地上に表れないため、用水に恵まれない地域では、古くから地中深く井戸を掘ったり、湧水や谷川からの水を溜池に蓄えたりして田畑を耕すなど、人々は水の確保に苦労してきました。
愛知川の両岸には、川からの水を導く「井(ゆ)」と呼ばれる用水路が残っています。愛東・湖東地区には「青山井」や「愛知井」などが設けられ、地域の水田を潤してきました。
また、日照りが続くと、「龍」がすむといわれる鈴鹿の山々や水神に降雨を祈りました。鈴鹿10座にも選定される御池岳や竜ヶ岳、雨乞岳の名称は、山に降雨を祈った信仰を現在に伝えています。
蛇口をひねれば水が出る現代。郷土の水は今も鈴鹿山脈から運ばれています。自然豊かな環境に感謝し、鈴鹿の森にまつわる本市の歴史文化を大切にしていきたいものです。
暮らしに溶け込む青山井