森里川湖をめぐるストーリー 8
[2024年6月11日]
ID:17382
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このコラムは、鈴鹿の森から始まり、森里川湖を通じて人と自然がつながっていることを感じていただくものです。
古くから人々は山の恵みと共に生き、木炭を作る炭焼きは大切な生業の一つでした。木炭は、料理や暖を取る際はもちろん、鍬、金づちなど身近な道具作りにも必要なエネルギーとして人々の生活に欠かせないものでした。
かつて鈴鹿の森でも炭焼きが盛んに行われました。石や土などで直径3メートル程に成形した窯の中に、森で伐採したカシ、ナラ、クリなどの木を並べ、一日半、付きっ切りで燃やし続けます。その後、空気を遮断することで炭化が進み、数日かけて窯を冷ますと木炭が出来上がります。
『滋賀県市町村沿革史』によると明治から昭和にかけて鈴鹿の森で生産された木炭は、主に八日市地域へ出荷されており、昭和31年に約一万三千五百トンが生産されていたとの記録があります。鈴鹿の森は、エネルギーの供給源として人々の暮らしを支える重要な地域であったことがうかがい知れます。
炭焼きは、原料を取るために木を伐採しても、切り株や残された木の根元から萌芽(新しい芽)が成長し、樹木の更新が繰り返されることで、自然と人との共生と持続的な関係が保たれていました。
鈴鹿の山を歩くと、ひっそりと残る炭焼き窯跡の石積みを目にすることがあります。往時のように、炭焼きの煙が立ち昇るのを見ることはありませんが、化石燃料に依存する社会に生きる私たちに、改めて森と人との関わりについて問いかけてくれているように感じます。
炭焼き窯跡の石積み(茨川町)