森里川湖をめぐるストーリー 11
[2024年6月27日]
ID:17691
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このコラムは、鈴鹿の森から始まり、森里川湖を通じて人と自然がつながっていることを感じていただくものです。
「木地師」とは、轆轤(ろくろ)という工具を使い、椀や盆、こけしなどの丸物木地を作る職人のことを言います。材料は主に広葉樹のトチ・ブナ・ケヤキなどを用い、かつて木地師の多くは、奥山に入って木を伐り、木地物を製作することで生計を立て、良木を求めて全国の山々を転々と移住する暮らしを送っていました。
奥永源寺小椋谷の蛭谷町と君ヶ畑町は、江戸時代から明治時代にかけてそうした木地師を全国的に統轄したことで知られています。蛭谷町は筒井公文所(つついくもんじょ)、君ヶ畑町は高松御所(たかまつごしょ)という木地師の支配所を設置し、東北から九州まで全国に散らばる木地師を訪ね歩き、神社への奉加金を集め、神札を配る一方で、身元を保証し、往来手形を発行する「氏子かり」という手法で木地師社会の保護を担っていました。
本市には、この氏子かりの記録である県指定文化財「氏子狩帳(蛭谷町、君ヶ畑町)」が残されています。
今や轆轤技術は、万年筆や精密機器などさまざまな用途に発展し、ものづくり大国日本を支える技術の原点とも言えるでしょう。平成30年度には、その独特の技術や制度を古くから継承してきた地域として「木地師文化発祥の地 東近江市小椋谷」が、滋賀県内では初めて林業遺産に認定されています。
生活様式の変化とともに日々の暮らしの中で木製品に触れる機会が減っていますが、ぜひ木地師文化発祥の地である小椋谷で、木製品のぬくもりにふれてみてください。
轆轤を使い木地を作る様子